世界の「言語」の数は五千とも六千とも言われているが、現在使われている「文字」の数はその百分の一に満たない。ちなみに、これらの文字のほとんどがアジアで使われている。アジアは、地球上、文字がもっとも密集している地域といえる。
現在使用されている文字を、起源を共通にする系統別に分類すると、さらにその十分の一ぐらいの数のグループに整理される。つまり現在の主な文字の系統は、言語の数の千分の一程度になってしまう。この事実は、地球上に固有の文字をもたない少数話者の言語が多くあることを差し引いたとしても、人と文化の移動および接触の過程の中で、言語の角逐よりも文字の覇権の方が遥かに強大であったことを物語っている。この歴史的淘汰の痕跡の一部は、近代以降の未解読文字の解析研究により、少しずつ明らかになりつつある。
言語が新たに文字を受容するとき、言語と文字の間に生じる関係は、身体とそれに着せる服の関係にたとえることができる。もともと特定の言語に合わせてあつらえた仕立て服は、「体型」の異なる言語にそのままぴったり合うはずもなく、ある部分は最小限の手直しで間に合わせるか、ある部分は無理やり体を押し込むか、の選択をすることになる。文字文化圏と呼ばれる空間的拡がりの中に分布する相異なる言語は、同じ文字を受容しても、その受容の仕方は一様ではない。
さらに付け加えると、いったん新しい文字が受容されて以後、当該の言語独自の歴史的音韻変化は、この体(=言語)と服(=文字)との間に新たな乖離を生み出す原因となる。この乖離を埋めるためには、程度の差はあれ、言語音とそれを表現する文字との対応を説明する規則の介在が必要になる。たとえば、つづり字と発音との乖離がはなはだしい英語の場合、教育的観点から考案されたphonicsは、こうした規則の束といえる。
私たちが見る言語と文字との組み合わせは、こうした歴史的過渡期の一瞬一瞬におけるユニークな均衡を保つ一形態である。別の言い方をすれば、100の言語が同じ1つの文字を受容したとしても、言語と文字との関係のありようは100通りありうることになる。
GICASは、このような言語と文字の関係をふまえた上で、アジアの諸文字について、文字を系統づける字形の構成要素とその基本システムの特徴、文字の受容のプロセス、および音声言語と文字との歴史的乖離の内的構造変化のダイナミクスといった分野を中心に、国際的かつ学際的な共同研究を進めてきた。
その研究成果の一端は、多数の出版物(GICASの出版物)に結実し、また、オンライン上でも、書字史の研究に基づいた書字コーパス(ことば・コーパス)、書字コーパスの前提となる文字のデータベース(文字・データベース)、アジアの諸文字の入出力のためのツールなど(研究用リソース)を公開中であるので、ご覧いただければ幸いである。