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一九三八年十二月、浅井は台湾南部、台南の頭社という土地を調査に訪れました。ここに住むのは、十七世紀以来オランダや清朝政府の統治下に組み込まれて外部社会と接触してきた「平埔族」の「シラヤ」と呼ばれてきた人びとです。彼らは、漢化の影響を受けながらも、壺に宿るとされる「阿立祖/阿立母/太祖」などと呼ばれる神格を祀る独得の信仰と祭儀を保持してきたことで知られ、現在もその祭りは毎年厳かにおこなわれています。浅井は、この祭りの時に頭社を訪れ、「牽曲」といわれる神聖な歌舞や祭儀の様子を写真や 十六mmフィルムに収めました。頭社をはじめとする平埔の村むらは、戦後に漢化・現代化の度合いをさらに加速化させましたが、浅井の遺した資料は、その年代をさかのぼる頭社の人びとと祭儀の様子を伝える、非常に貴重なものだといえます。
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
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この時、浅井が撮影した写真資料の一部は、一九九五年に台湾で写真集として出版されました。
この写真集に収められた半世紀以上前の頭社の祭りの様子は、
現地の人びとやそこを調査してきた研究者らに少なからぬインパクトを与えました。
一九九五年の祭りでは、浅井の撮影した写真の一場面をなぞらえるように、供物の豚を処理する際にそれを四つ足に縛って吊し、
藁で燃す火にあぶって処理するやり方を再現させたといいます。また、
戦後久しく途絶えていた少年たちによる儀礼的なマラソンレースも、二〇〇〇年と二〇〇四年に復活・再現されました。
これは、祭りの日に少年たちが競走で川辺に行き、若水を汲み祖先の霊魂を連れて帰ってくるというものですが、
二〇〇四年の祭りでは、競走よりも若水汲みの側面に重点が置かれました。 |
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これらの祭りにおけるいくつかの場面の復活・再現に、浅井の写真が関わったことはいうまでもありません。けれど、浅井の写真が唯一の根拠となったというわけでもありません。頭社の人びとは、浅井の写真を手がかりにしながらも、地元の古老の記憶を辿り、共同体でかつて自分たちがおこなっていた祭りを再現したのです。ですから、浅井の写真資料は、いわば彼らの記憶を喚起する活性剤のような役割を果たしたのだといってよいでしょう。研究者が遺した資料と現地の人びととの関わり方―そのひとつの例を、浅井の頭社の資料と頭社の人びとによる祭りの実践は物語っています。
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